東京家庭裁判所 昭和63年(家)13695号 審判 1989年11月09日
申立人 李長理
主文
本件申立てを却下する。
理由
第1申立の趣旨
申立人は、いわゆる中国残留日本人孤児であるところ、父は日本人大塚賢、母も日本人(台湾籍)の李清順で、父母は婚姻していた。したがつて申立人は日本人であるが無籍である。よつて、就籍許可の審判を求める。
第2当裁判所の判断
1 家庭裁判所調査官作成の調査報告書その他本件記録によると、次の事実を認めることができる。
(1) 申立人の母李清順(当時台湾籍)は、昭和20年8月28日上海市で王周賢を名乗る日本人と婚姻し、その届出(上海市静安寺路××号王徳志子王周賢が招婿として台湾の申立人の母の父戸主李国勝の戸籍に婚姻により入籍した旨の戸籍簿(戸口調査簿)の記載)をして家庭生活を営んでいたが、昭和21年2月頃申立人の母は台湾に、賢は日本へと別れた。当時申立人の母は賢の子を懐妊しており、賢は生れてくる子のことを案じ、責任を持つ旨の申立人の母の父宛の書簡を申立人の母に託した。申立人の母は、同年10月10日に申立人を台湾で出産し、申立人は父王周賢、母李清順の長男として戸籍に記載された。
(2) 右王周賢という名前は、本籍東京都杉並区○○×丁目××番地大塚賢(明治38年12月26日生)が当時上海で日本人であることを憚つて使用していたものである。同人は昭和6年に信子と婚姻しているが、放送関係の仕事で上海に赴任中、申立人の母と親密の関係になつて婚姻した。したがつて、重婚であるが、取消されることはなかつた。また、大塚賢は、同人の実父戸主大塚金造の長男で推定家督相続人であつた。
(3) 申立人は、幼い頃から自分の父が日本人であると知つており、長ずるに及んで母とともに大塚賢と文通した。大塚賢は、手紙では、大塚賢や王周賢などの名を使用していたが、その中では親として、夫としての親愛の情を吐露している。申立人は、昭和51年には来日し、賢と親子の対面をした。また、賢と妻信子の間の長男大塚論とも、兄弟として書簡を交わし、申立人は日本を、論は台湾を訪れ交流した。
(4) 大塚賢は昭和59年5月8日死亡し(論は、申立人の母に死亡を知らせている。)、申立人の母は昭和61年6月26日に死亡した。
(5) なお、申立人は肩書住所で妻、子3人の5人家族で生活している。
2 以上の事実にもとづき検討する。
(1) まず、王周賢は大塚賢と同一人物であると認めるのが相当である。
次に、本件の婚姻は、大塚賢がその本名でなく中華民国人王周賢と称しての戸籍記載となつているが、日本人大塚賢と申立人の母が婚姻の意思を有し、その届出がなされたものであると認められるので、日本人大塚賢と申立人の母との間の婚姻としてその効力を検討すべきものである。
ところで、当時は台湾にも日本民法が施行されていた(大正12年1月1日施行)ので、この婚姻については当時の日本民法(いわゆる旧民法)によることとなるところ、台湾において同法の規定する婚姻の方式である届出がされているので、婚姻の方式は適法である。
次に本件婚姻は大塚賢については重婚であるが、これは取消事由になるが取り消されない限り婚姻としては有効であるというべきである。
また、大塚賢は法定の推定家督相続人であるところ、当時の民法744条によれば、法定の推定家督相続人は他家に入り又は一家を創立することができないとされていたが、これに反した婚姻でも届出が受理されている以上無効であるとは解されない。そうすると、本件婚姻は、当時の日本民法の定める婚姻の成立要件に照らし、有効であるというべきである。
そうであれば、申立人は日本人大塚賢と日本人である申立人の母との間の嫡出子であると認められる。したがつて、申立人は旧国籍法(明治32年法律第66号)第1条にもとづき出生により日本国籍を取得したというべきである。
(2) そこで、次に申立人の国籍喪失の有無についてみるに、昭和27年8月5日発効の日華平和条約により、日本は台湾の領土権を放棄し、これにより、台湾人としての法的地位をもつていた日本人(台湾の戸籍に記載されていた者)は日本の国籍を喪失したものと解される(昭和27年4月19日付け民事甲第438号法務府民事局長通達参照)。
ところで、大塚賢については、前記のように、王周賢として台湾籍である戸主が申立人の母の父李国勝の家に婚姻により招婿として入籍した旨の戸籍記載がされ、申立人は台湾籍の父母王周賢、李清順の子として戸籍に記載されている。したがつて、申立人は台湾籍の日本人であるというべきである。
もつとも、条約発効当時台湾籍にあつた者でも、前記条約の発効前に内地の戸籍に入籍すべき事由の生じていた者は内地人として国籍喪失の対象とならないと解されるところ、この点に関し、申立人は、申立人の母は内地人たる大塚賢との上記婚姻により旧国籍法第5条にもとづき内地人たる地位を取得していたので、申立人は内地人父母の嫡出子として、内地人たる地位を有し内地の戸籍に入籍すべき者であつたから、前記平和条約によつて国籍を喪失したことはない旨主張する。
しかし、台湾には旧国籍法が施行されており、申立人の母は既に婚姻前から日本人であつたのであるから、婚姻により同法により新たに内地人なる地位を取得することはありえない。
ただ、内地人と台湾人との間には、法的地位に区別があり、内地人との婚姻により、台湾籍の妻が内地の夫の戸籍に入る場合には、妻は内地人としての地位を取得するといえる。しかしながら、大塚賢は王周賢を称して台湾籍の申立人の母の家に招婿として入る形での婚姻(旧民法上の婿養子と解される。)をしているのであるから、その婚姻の形態は妻が夫の家に入るのではなく、夫が妻の家に入るものである。本件では大塚賢が中華民国人王周賢を称しての婚姻であつたため、大塚賢の内地の戸籍とは全く関係のない台湾の戸籍ができ、二重戸籍となつたが、本来なら、このような妻の家に入る婚姻をすれば、内地、台湾間の入除籍の連絡により、内地の戸籍から除籍されるべきものである。したがつて、申立人の母及び申立人が内地人として内地の戸籍に入籍すべき事由が生じていたので、条約発効により日本の国籍を喪失しなかつた旨の主張はとりえない。
以上により、申立人は前記条約の発効により日本国籍を喪失したものというべきである。
(3) 仮に、法定の推定家督相続人であることその他の事由で、大塚賢が台湾の妻の家に入る婚姻を有効にできなかつたものと解したとしても、申立人が日本国籍を喪失したとの結論に変りはない。すなわち、大塚賢と申立人の母との間の婚姻が無効であれば、申立人は出生当時父のない子となり、台湾籍の日本人である母李清順の子として出生により日本国籍を取得したが、この日本国籍(台湾籍)も前記条約の発効により喪失したというべきであるからである。
なお、台湾の妻の家に入る婚姻として届出されその旨戸籍記載されているものを、それが有効にできないからといつて、逆に内地の夫の家に入る婚姻として有効であると解することは、当時婚姻は入家、入籍と不可分であつたことに照らし相当でない。
以上のとおり、申立人は現在日本人であるということができないから、就籍の申立は理由がなく却下すべきものである。
よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 木村要)